Lime JuiceLimeの活動日記
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戦後70周年 戦争遺産「玉の火薬庫」 00:24
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    はじめての廃墟カテゴリーです。
    戦後70周年私たちの世代にはピンときませんが、日本が大きな戦争をやらかしていたのは事実です。 戦争には莫大なお金がかかります。 そのお金の中には通貨でない実際に加工して使用する金属も含まれています。
    資源小国でもある日本が、莫大な軍事予算と・・・何よりも尊い命を犠牲にまでして行ってきた愚弄の跡はいまだにそこらじゅうに残ってます。

    鉱物採集をするため鉱山を探索すると、必ず戦争の影が付きまといます。 国内の中小の鉱山は、稼働していた時期や時代を追いかけると軍需資源を得るために稼働していただろうと思われる鉱山が多い事にも気付かされます。

    以前ブログで「内外海鉱山」の探索記事を載せましたが、ここも戦争と関係が有る場所でした。

    国内では直接鉱山とは関係ありませんが、戦争遺産と言う形で遺構が多く残ってます。
    その中で私が住む近く「岐阜県関ヶ原町」にある「玉の火薬庫」を紹介します。

    岐阜県関ケ原町の玉地区には戦時中、弾薬や火薬・爆薬を貯蔵している大規模な火薬庫が有りました。
    ここは、北に伊吹山があり、琵琶湖方面から上がる強烈な上昇気流から、上空には乱気流があり当時の飛行機では飛ぶ事ができませんでした。どのように調べ上げたか不明ですが、上空からの偵察・攻撃を避けれる天然の防御をまとった場所であったといいます。
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    古い航空写真には、バラック仕様の火薬庫も並んでいますが、その周辺の山に見える場所にも多くの横穴式火薬庫が作られていました。(右は当時の地形図:写真&地図の上部は伊吹山方面です)

    私たちが子供のころ1970年代には、この地区には大手化粧品会社が運営する遊園地が有りました。 そして併設されいた国際スケートリンクも火薬庫の跡を利用した施設でした。
    家族でスケートによく連れて行ってもらいましたが、子供ながらに施設の異様さには無視できない何かが有りました。
    貸しスケート靴が有る場所やロッカールームはまさに火薬庫本体が使われていました。スケートリンクは屋外でしたが、その施設は上に松の木が茂り、半地下の様な異様な光景でした。
    そして駐車場の横には、監視台の様な奇妙な建物にちょっとした不気味さを覚える事が有りました。
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    2枚目の写真のこの場所に、スケートのウエルカムゲートが有りました。
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    上部が木に覆われていますので、衛星写真で見てもここに何か建物が有る事は解りません。
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    内部は広大な空間が広がってます。ひじょうに強固な建造物で、文献を見るとこの空間の外に人が通れるほどの空間を設けて、魔法瓶の様な構造に作る事で、内部温度を一定にして火薬の劣化を防いでいました。
    この他にも丘の横をくりぬいた形状の物もあり、ひじょうに興味深いです。
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    内部はめちゃくちゃ広いです。
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    ここが入口の門燈の跡です。 この横にスケートリンクに行く道路がありますが、子供のころスケートのナイターに連れて行ってもらった時は、車のライトに浮かぶ姿が不気味でした。
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    当時交代制で24時間憲兵が立っていた建物です。奥に見える荒涼とした場所がスケートリンクの跡です。
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    ところどころにある、立哨台跡
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    詳細な地図です。
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    こんな弾薬が保管されていたらしいです。木製の弾薬箱です。

    どの程度の期間で、これだけの施設を作り上げたかは不明ですが、すごい労力がかかった事と察しがつきます。

    では・・・


     
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