Lime JuiceLimeの活動日記
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「笠ヶ岳鉱山」 断念・・・ 21:22
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    今日は平地でも、かなりの寒く感じる一日であった。 この鉱山にはもうすぐ冬が訪れるだろう・・・

     

    この鉱山に導かれるまでは、ほんとに多くの方にお世話になった・・・当時の色々なお話を話してくれたり、願いがかなえばその当時までタイムワープしたいくらいな感動を受けた。

    そんな方々にはこの場を借りて、お礼を言いたいと思っている。

     

    近年の登山ブームで厳しいと言われている北アルプスの山々でも、現在ではとても立派な登山道が完備されていて、よほどの天候不順や厳冬期の冬山以外なら、少しトレーニングすれば誰でもあの素晴らしい頂きに登頂する事は意外にも簡単だと思う・・・この笠ヶ岳山頂に向かう道にも立派な登山道が完備されている。 しかしこの鉱山がある場所はそうはいかない・・・

     

    下流部にある大切坑道には、それなりの装備があれば意外にも簡単に到達できるが、それから上部は予想以上に厳しかった。

    結局・・・1850mにある鉱山跡には到達できなかった。 展開を楽しみにしていた方には大変申し訳なく思っている。

     

    IMGP0178.JPG

    上の写真にある、右から影が押出している対面の尾根の向こうに、目指す三ノ沢と呼ばれる谷がある。この谷の縁から当時使っていた旧鉱山道が続いているのだが、とにかく巨岩の河原を縫うように歩くので、三ノ沢までたどり着くのも大変だった。

    IMGP0182.JPG

    三ノ沢の手前にある厳しい崖にも試掘後と思われる穴が口を開けていた。 縦長の大きな方は自然の崩壊で出来た穴で、その左下にある小さな物が試掘坑 ここから見ると小さく見えるが、直径は1m程度あると思われる。

    中を確認してみたかったが、とにかく崩れやすい岩と、取り付き悪さの為、確認はあきらめている。

    IMGP0183.JPG

    望遠レンズで最高まで拡大してみると、右側の変色した岩と白っぽい岩石の間を試掘している。 この位置から奥は確認できなかった。

    IMGP0181.JPG

    この場所から振り返って、遡行してきた谷を望む・・・谷幅は30mほどなのだが、横にはほぼ垂直な崖が立ちはだかっている。

    息子のザックから出ている蛍光ピンクのテープは「迷い防止のテープ」 木に結び付けてリターンのルートを確保する為に使っている。

    IMGP0179.JPG

    ここが穴毛谷本流と三ノ沢とが合流する地点・・・ここから三ノ沢を登り、旧鉱山道の取り付きに出る・・・取り付き部分は単なる急な枯れ沢にしか見えないので、地図とコンパスと高度計で現在位置を確認しながら登り始めた。

    IMGA0534.JPG

    目指す鉱山跡は1850m付近にある坑口マークを目指す・・・この地図は古いので三ノ沢の合流部分の地形は、予想通り長年の崖崩れなどでかなり変わってしまっていた。

    等高線を読んで現在の地図に照らし合わせ、トレーシングしたものが以下の地図・・・まぁ誰かチャレンジしてくれる猛者が現れる事を期待して今回は地図を載せた。

    IMGA0535.JPG

    この地図は磁北線を省いているが、こういった地図を使ったルートファインディングは頭の体操になり楽しい、現地でもコンパスを使って現在位置を確認して登るが・・・今回は予想以上の藪山の為、とても苦労している。

     

    結局・・・地図中央のマルバツ・マークの所で断念している・・・

    初めのうちは、所どころに顔を出す旧鉱山道の苔むした石段を探していたが、1650m付近からその目印も途絶え・・・猛烈な藪と格闘を強いられた・・・

    1550mの登り口から1700mの脱落地点まで2時間以上も藪漕ぎには本当に閉口させられた・・・1700m地点で11時を回っていたので、帰りの穴毛谷を下る時間までを入れると今日中に下山は難しくなる・・・この谷でのビバークは危険を伴うので、かなり迷ったが、この場所を最後に下山する事を決定する事になった。

    蛍光ピンクのテープでマーキングしてあるが、藪が深く帰りでさえも何度も迷いそうになっている。 テープは残してあるので・・・また来年の春にでもチャレンジしたいと思っている。

    IMGP0184.JPG

    等高線からは大体の斜面や所要時間は把握できるが、この「藪」まではそこに表記が無い・・・広葉樹を示すマークは地図上に書かれているが、こればかりは行ってみないと解らないのが現状だ・・・斜面が急でザックからカメラを出す事も困難で、写真撮れなかった、これが唯一の藪の写真になる。 豪雪地帯の為、大きな大木は少ないが人の背丈を超える灌木が行く手を阻んだ・・・

    昔はもっと整備されていただろうが、人が入った形跡が無く、ほぼ50年以上は放置されているのだろう・・・そして斜面が急なので古地図にあるような急登を避け、このような「つづら折りの道」が作られていると考えられる。 しかし残念ながら当時の鉱夫が行き来した道は藪に消えてしまっていた・・・

     

    写真 笠ヶ岳鉱山 坑口前.jpg

    Aさんがお話してくれた事

    笠ヶ岳鉱山は相当な規模で採掘されていた、しかし採鉱目的であった銅の価格は輸入品に押され・・・新しい富鉱部も見つからず閉山までの晩年は、石英質の岩石に挟まれた銅鉱石を採掘して、鉱山としては赤字経営であったらしい。

    この時に採掘されたズリに多くの水晶が入っていたらしいとお話してくれました。

    そんな閉山への決定打になったのは、終戦になってしばらくして起きた鉱山の昼火事が原因だったらしい・・・

    選鉱場や職員の宿舎をはじめ・・・20棟余りの建物が全てが全焼し・・・再建の見通しが立たなく閉山に至ってしまった。

    この火事では亡くなった方もいるのであえて詳細な記載は省かして頂く・・・

     

    昭和12年から当時の権利金2万円で、笠ヶ岳中腹の露頭に目を付け採掘を始めた・・・昭和14年になり日本鉱発株式会社が大々的に採掘が開始されてから従業員数も多くなった。

    昭和17年から昭和19年あたりが最盛期で、従業員数は300人を超えていたらしい。

    写真 笠ヶ岳鉱山事務所.jpg

    上は鉱山事務所の写真

    とうじでも気候が厳しい場所にこの鉱山はあった。

    昭和15年1月29日 猛吹雪中、積雪量2mを越す穴毛谷山林部を登っていた4名が大雪崩に巻き込まれ死去する事件が起こっている。

     

    そんな危険な場所の笠ヶ岳鉱山で採掘されていたのは主に亜鉛で、当時は四日市まで輸送していたが昭和19年頃から神岡鉱山に送るようになっていたと話して頂いた・・・この場所では製錬はしていないので、その為大きな鉱害問題などは出ていない。

     

    新穂高の橋を渡った発電所の付近に2階建ての事務所があって、写真はその入り口玄関の写真になる。 そこから下流部へ従業員宿舎が6棟、上流部には大きな食料備蓄倉庫と配給事務所があり、更に川の反対側には従業員住宅や食堂や選鉱場が10棟ほど存在していたと話してくれた。

    現在でもこの場所は新穂高温泉で有名だが、当時でも地面から湧き出るかけ流しの温泉風呂があって、当時の従業員の疲れを取っていたらしい。 この鉱山がそこそこ大きな鉱山であったのかは想像つくだろう

     

    鉱山の採鉱していた場所は笠ヶ岳と穴毛谷とのちょうど中間部に存在しその場所は通称「岳:だけ」と呼ばれていたらしい・・・

    今回たどり着けなかったが、ある方からは・・・この「岳」と呼ばれる場所が、最盛期のこの鉱山の採鉱場所であったというお話を聞かして頂きました。

     

    今回は特別に地図を載せた・・・「なんだ結局たどり付けて無いのか!」と思われた方は、この地図を参考に是非チャレンジしてみてほしいと思う。 水晶のズリがあったら是非教えてほしいと思っています。

     

    ではでは・・・

     

     

     

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